コメントをいただきまして・・・

昨日の内容に対するコメントをいただきまして、それに関連して少々。
(きくさん、ありがとうございました♪)

「聖霊の使い走り」の表現について。

実は昨日ブログを書いた後、買い物にいく道すがら、ガイドさんから
「あの表現はいかがなものか。」
との指摘がありました。

個人的には
「聖霊のメッセンジャー(聖霊からのメッセージを伝える人)=お使いの人」
としての意味合いで使ったつもりだったのですけれども
よくよく考えてみると、「使い走り」の最近の意味合いとしては
「集団内で強い(もしくは偉い)立場の者が、より弱い立場の者に
(しばしば不当に)用事を命じて使いに行かせるとき
その使いに行かされる者(もしくはその行為)を言う。」
(Feペディアより引用)
のほうが主流のようで。

当然のことながら聖霊との関係は、強弱(上下)関係ではないし
聖霊が「不当に何かを命じる」こともないので
これは不適切な表現でしたね。
失礼いたしました<(_ _)>
(ガイドさん、ごめんちゃい。)

なので
「聖霊のメッセンジャー」
に変更させていただきたいと思います。

もちろん自分で「聖霊の声を聴く・伝える」ことを選択したのであって
強要されたわけではありません。
あしからず・・・(^_^;)


それからもうひとつ。

「(聖霊は)人使いが荒いですか?」に関して。

むしろ人使いが荒いのは自我(エゴ)のように感じます。

例えば私の場合は、何か新しいことをしようとする時
「自分にはそんなことをする価値はない。」
「うまくいくはずがない。」と言い
仮にうまくいった(ように見えた)としても
「ここはもっととこうしたほうが良かった。」
「次もうまくいくとは限らない。」
と言い出します。

このように私の自我(エゴ)は「満足する」ことがないので、いつも
「もっと、もっと。」「まだ足りない。欠けている。」
と急きたてます。

自我(エゴ)の声をずっと聞いていると、疲れることはあっても
心休まることはありません。

それに対して聖霊と共に在る時(聖霊の声を聴いている時)は
とても安心で心地よい感じがします。

例えば
赤ちゃんがお母さんの胸に抱かれて眠っている時のような。

身も心もすっかり預けて、全てを委ねているようで。
「安全・安心」であり、そこには絶対的な信頼があるようにも感じます。

そして「自分だけ」がその状態に在るのではなくて
みなが同じく「安全・安心」で、絶対的な信頼を感じます。

その状態の中では
何かを恐れたり、急ぐことも焦ることもありません。

ただ、ちょっと油断(?)するとすぐ自我(エゴ)の声に耳を傾けているので
心が穏やかでない時は、要チェックです(^_^;)

そうやって少しずつではあるけでれども
「聖霊と自我(エゴ)の、どちらの声を聴きたいのか。」
を選べるようになりたいと想うのでした。


と、ここまで書いてみて。
いつもながらとりとめのない話になってますね(^_^;)
最後までお付き合い下さいましてありがとうございました<(_ _)>


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by setsuna-tsumugi | 2010-03-06 23:49 | エネルギー
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