昨日はやすらぎの部屋をお借りして、午前中はプロデュースイベントの個人セッション
午後は交換セッションを行いました。 久しぶりのプロデュースイベントということもあって、楽しみな反面緊張も していたのですけれども、お越し下さった美保さんの強くて温かいエネルギーに 包まれながら、貴重な時間を共有させていただきました。 美保さん、ありがとうございました<(_ _)> 美保さんがブログでセッションのことを書いて下さいました。 それを読ませていただいて改めて感じたのは その場を創るのは共同作業であり、どちらか一方がなしえることではない ということです。 そこでの会話やメッセージも、一方的に伝達されるものではなく、 その場を創っているもの全て(見えない存在も含めて)へのものだと感じました。 それは何もセッションの場に限ったことではなく、職場や家庭などあらゆる場所が そうであり、そこでの何気ない会話ひとつとってもいえることなのかもしれません。 それは例えその場に(肉体の目で確認できるのが)自分ひとりだったとしても。 以前ミカエルさんのお話会に伺った際 「言葉は二人の間に降りてくるもの」 とのお話がありました。 その時は 「二人=話す人(1人)と聞く人(その場にいて聞いている人)」 だと思っていたのですけれども、今回のセッションで 「二人=話す人・聞く人=全ての存在」 なのかなと感じました。 そして何を創造したいのかを意図する・選ぶことができるのが、ここでの 楽しみであったりやりがいであったりするのかもしれません。 と、ここまで書いていて話が随分と脱線したような気が・・・(^_^;) 「想いをシンプルで言葉で分かりやすく伝える」ことを意図します・・・はい。 午後はGrowingHeartsさん、きくさんとの交換セッション。 贅沢にもお二人同時にヒーリングをしていただき、身体がユルユルに♪ (その後あくびばかりして失礼しました<(_ _)>) ちょっと前からあった左の首~肩にかけての痛みが随分と和らぎ、だいぶ首を 曲げられるようになりました。 ありがとうございます ( ^-^) お二人それぞれエネルギーに個性があり、GrowingHeartsさんは手を触れられた 部分の細胞がわくわくして喜び、それが全身に広がっていくような感じ。 きくさんは知的で静かに穏やかに、そして確実に浸透していくような感じがしました。 またGrowingHeartsさんの誘導で、リラクゼーション。 優しく心地よい声に導かれながらの呼吸法は、呼吸と共にだんだん自分の身体が 熱くなってきてビックリ! ヘンな力が抜けて、循環が良くなったのかもしれませんね。 私はosho禅タロット、数秘をさせていただきました。 3人だったので、2人が1対1でセッションをしているのを1人が見学、または 1対2でセッション、その後感想をシェアという感じで行ったのですけれども これまで「セッションを見学する」という機会がほとんどなかったので とても勉強になりました。 とても盛りだくさんで、充実した1日でした。 みなさま、ありがとうございました<(_ _)> ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-10-18 23:07
| エネルギー
やすらぎの部屋・コオさんが発行されているメルマガ「インナーメッセンジャー」
毎朝7時頃送られてきます。 その時の自分にピッタリくる内容だったりすることも多々あって いつも楽しみにしています。 今朝のはまさにど真ん中ストライク! そろそろ目が覚める頃だわぁ~と感じたら(って、とってもヘンな表現ですけれども 意識が先に起きて身体はまだ寝ているような状態の時です。)ちょっと高めのキーで ハープのような鉄琴のような感じの音で「ポロロ~ン、ピロロ~ン(?)」のような 短いメロディが繰り返し聴こえてきました。 あぁ、こんな表現では全く伝わりませんね(^_^;) 普段耳にしたことがないような音色とメロディで、聴いていてもっても心地よいのです。 ぐっすりと寝ている時から聴いていたのかもしれません。 時折そのようなメロディで目が覚める事があり、目が覚めてからもしばらく 聴こえている時もあります。 歌詞(?)つきの時もあって、何語やら意味は全く分かりませんけれども これまた心地よく感じます。 (ちなみに今朝はメロディのみでした。) 心地よいメロディをありがとうございます♪ *あさって17日(土)のプロデュースイベントの詳細・お申し込みはこちらです。 ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-10-15 14:01
| エネルギー
今日は平野さん(野口整体)の個人セッションに稲村ガ崎へ。
初めて伺ったお部屋は、海と山、両方のエネルギーが感じられ、そして とっても落ち着く(つい長居をしたくなる)ところでした。 セッションでは、背骨をはじめいくつかのポイントに触れて愉気をしながら その人本来の身体の使い方ができるように方向づけやサポートをして下さいます。 (と、ご本人にはっきり言葉にして確認したことはないので、あくまでも個人的感覚です。) 途中「ここはね・・・。」と、その時触れているポイントの説明をして下さるのですけれども 身体が緩みボーっとしてくると聴いていないことも多々ありまして・・・。 強い痛みを感じる箇所もあり、それはそれで痛さでまた説明に集中できず(^_^;) そんな中、今日は今まで以上に心地よく感じられるひとときがありました。 隔たりがなくて、安心で、安全な・・・と言葉にするそばから違うものに なってしまうので、うまく表現できないのですけれど。 いつかどこかで感じたことのあるような、懐かしい感覚でした。 ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-10-14 23:32
| エネルギー
ある本の中で紹介されていた偉人の言葉。
常識とは、十八歳までに身につけた 偏見のコレクションのことをいう ━アインシュタイン ちなみに「常識」を辞書でひくと 「一般の社会人が共通にもつ、またもつべき普通の知識・意見や判断力。」で 「偏見」は 「かたよった見方・考え方。ある集団や個人に対して、客観的な根拠なしにいだかれる 非好意的な先入観や判断。」でした。 (以上Yahoo!辞書より引用) 「共通」と「かたよった」では真逆のように感じますね。 「常識」は持ったほうが良くて(むしろ持っていなと恥ずかしい) 「偏見」を持つなんてとんでもない!みたいな。 けれども「常識」と言われているものの中には、特定の時代や特定の地域にのみ 通用するものもあるようです。 例えば「お歯黒」は江戸時代既婚女性ならば誰もが行ったもので、その当時「お歯黒を している女性は結婚している」は常識だったといえるでしょう。 さて今、既婚女性でお歯黒をしている人は一体どのくらいいるのでしょうか? 少なくとも身近はもちろん、テレビ・インターネットなどで見たり聞いたりしている 限りにおいては、一人もいません。 お歯黒に関する常識は、今は通用しないといっても良いかもしれませんね。 江戸時代にまで遡らなくても、ここ十数年の間で常識といわれるものが随分と変わってきているように感じます。 例えば「携帯電話」や「CD」のように製品の普及によって変わる常識もありそうです。 (今は「CD」よりも「配信」かな?) とすると、「常識」の「共通の知識・意見・判断力」は、「期間限定、エリア限定」のもの であり、ある種の「かたよった考え・判断」とも言えそうです。 また、アインシュタインがいうところの「十八歳までに身につけた」には 両親をはじめとした周囲の大人の言動が大きく影響しているように感じます。 もちろん、両親をはじめ周囲の大人がそうするのは、自身の「常識」「信念」に 基づき、良かれと思ってのことです。 けれどもそれもまたある種の「かたよった考え・判断」かもしれません。 既に賞味期限が切れているものが含まれているかもしれません。 そしてそれがコレクションなら、好みによって取捨選択の余地がありそうです。 アインシュタイン、なかなかやるなぁ( ̄。 ̄)ホーーォ。 って、アインシュタインに対して大失礼かしら・・・(^_^;) なんていうことをつらつら考えた週末でした。 言葉も象徴のひとつ。 そこにどんな意味、解釈を持つかによって、全く違うものになってしまうのが面白いですね(o^-^o) *10月17日(土)のプロデュースイベントの詳細はこちらです。 ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-10-04 22:42
| エネルギー
羽根さんのブログで紹介されていたアニメ「イヴの時間」。
ブログを読ませていただいている時から胸がザワザワしてきました。 「これは是非とも観なくては!」と思ったものの、なかなかその勇気がでませんでした。 今日やっと「観よう!」という気持ちになって、全6話を一挙に観ました。 このアニメは未来のたぶん日本。 ロボットが実用化されて久しく、アンドロイドが実用化されて間もない時代が舞台のお話です。 羽根さんと同じく第4話の旧型ロボットの経緯が明らかになるシーンで、とても強い感情に襲われました。 やってきたのは 「さんざん利用するだけ利用されて、利用価値がなくなったら最後は捨てられる。」 「信じても裏切られる。」 (と、今こう書いているそばから胸がザワザワします。) 数年前自分で一番最初に思い出した(?)過去世が、まさにそうでした。 呪術の能力があったが故に権力者に脅され、家族や村人の安全と引き換えに遠く離れたお堂に隔離され、権力者の言いなりになって呪術を行い、その度に罪悪感を持ったこと。 安全だと思っていた家族が、実は争いに巻き込まれ既に亡くなっていたことを聞かされた上、斬られ、お堂に火を放たれての最期。 そして次によみがえってきたのは3才の頃の出来事でした。 休日に具合の悪くなった弟を連れて母は病院へ。 私の面倒をみるように言われた父は、当時住んでいた自宅(団地)の目と鼻の先にある砂場に私を連れていき、「ここで遊んでいるように。」と言い残して一人自宅へ戻りました。 砂場には誰もおらず、しばらくすると一人でシャベルで砂を掘りバケツに入れている私に一人のおじさんが声をかけてきました。 「お母さんが呼んでるから、一緒に行こう。」 「うん。」 なんのためらいもなく、バケツに入った砂を捨ててシャベルをバケツに入れ、おじさんと手をつないで歩き出しました。 茶色のハンティング帽を被り上着を着はおったおじさんと、ブタの顔のアップリケ部分がポケットになっているスモックにズボンの私。 途中どこかに寄ったような気もしますが、よく覚えていません。 自宅から数キロ離れたバス通り沿いにある小学校の正門前に来ると「今お母さんが来るから、ここで待っててね。」 と言って、おじさんはそのまま歩いて行きました。 言われた通りにお母さんが来るのをじっと待っていました。 けれども、いくら待ってもお母さんは来ません。 おじさんも戻ってきません。 どのくらい待ったのか、だんだん心細くなってきて涙が出てきました。 声をあげて泣いていると、学校の中から女の人が出てきて「どうしたの?」と声をかけてくれました。 「お母さんがいない。」 迷子だと思われたのか、学校内の応接室(黒いソファがありました。)に連れていかれ、「お名前は?」 「いくつ?」と、いくつか質問されました。 しばらくして「おうちの人が迎えにくるからね。」と言われ、キャンディをもらったのと初めて見る黒い皮(?)のソファに座ってご機嫌になった私の元へ、血相を変えた母がやってきました。 母の顔を見て、また涙があふれました。 自宅に戻ると父と母が言い争いを始めました。 「どうしてちゃんと見ていてくれなかったの。」 「知らない人についていくなんて思わなかった。」 なんだかよく分からないけれども、自分が悪いんだと感じました。 おじさんを信じてついていったら置き去りにされた。 来ると言っていた母も来ない。 悪いのはわたし。 この時の想いと過去世の想いが、未だ終わっていない感情として湧き上がってきたようです。 自分ではもう終わりにしたと思っていた感情が、実はまだ「悲しみ&怒り」として残っていたことに気づかされました 当時は誘拐事件が多発しており、マスコミでも連日報道されていたそうです。 私の場合は、単なる気まぐれで声をかけたのか、始めから誘拐目的だったのかは定かではありませんけれども、ひとつ間違えれば今こうしてブログを書いていなかったのかもしれません(^_^;) そう思うと人目につきやすいバス通り沿いの、小学校の正門前で開放してくれたおじさんに感謝したい気持ちです。 おじさん、見つかりやすいところで開放してくれてありがとうございます。 なんだかまとまりにない話になってしまいました(いつものこと?) こうして、時折意外なところで意外な感情に出会い、それを受け入れることで薄紙を剥ぐように少しづつ癒されていくのかもしれませんね。 ここまで書いて胸のザワザワがおさまりました(⌒-⌒) 最後までお読み下さってありがとうございます♪ ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-09-28 22:32
| エネルギー
久しぶりに地球以外の人(?)とお話したので、それを少々。
日中お昼寝をしようと布団に入り、ゴロゴロすることしばし。 そろそろ眠れそう・・・という段になって、「キーン」や「ポー」の金属音(電子音?)が 聞えてきたと思ったら、意識が身体からするりと抜けて、どんどん上昇していきました。 「やっぱり身体がないと軽くていいわぁ~。」とノンキなことを想いながら、地球を眼下に 宇宙空間をプカプカ。 「そろそろ戻るとしますか。」と身体に戻り横になっていたら、遠くから点滅しながら 近づいてくる2つの光。 2つの光はそれぞれ不規則に点滅しています。 近づくにつれて「ポー、ポポポポー。」とモールス信号のような音が聞えてきます。 そのうち不規則だった点滅が2つ揃って規則的になり、目の前に着いたところで 点滅終了。 2つの光がこちらを向いて更に「ポー、ポポ、ポー。」と音を送ってきます。 何やら話しかけている模様、でも内容がよく分からない(^_^;) 「あのぉ、理解できる言語にしてもらえますか?」 「わたしたちは、いっしょにはたらくなかまをあつめています。 あなたは、そのひとりです。」 「はい?」 (その他イロイロな情報を聞きましたけれども、何とも・・・ねぇ。) 「かんがえておいてください。」 そう言うと2つの光はスゥッと遠ざかり、そして消えました。 夢か現か幻か・・・。 意識はしっかりしていた(と思っている)のですけれど...( = =) 起きている時でも夢を見ているようなものなので、全てが夢と言ってしまえば それまでですね(^_^;) その光は、少なからず地球ではないところから来たような感じがしました。 こちらの意志を確認するために再度来るようなので、その時詳しく 聞いてみようと思います。 シルバーウィーク最終日の不思議話でした(⌒-⌒) ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-09-23 22:31
| エネルギー
今日はご一緒した先生と、しばし店頭で宣伝用のティッシュ配りをすることに。
「ありがとう。」とにこやかに受け取って下さる人、「私はいいです。」ながら丁寧に 会釈して下さる人、全く視界に入っていないかのごとく通り過ぎる人・・・様々です。 ほんの1、2時間でしたけれども、結構疲れました(^_^;) 外で何時間もティッシュやチラシを配っている人は、もっと大変なのでしょうね。 急いでいる時や荷物が多い時などは「どうぞ。」と差し出されても、受け取らないことも あったのですけれども(スミマセン)、これからはできるだけ受け取るようにしようと 思いました。 ヾ(_ _。)ハンセイ… さて、現在店舗にあるティッシュ(在庫全て)にある試みをしてみました。 一見したところでは分からないのがミソです???(゜゜*) お近くにお越しの際は是非お持ち帰り下さいませ(⌒-⌒) (通常は店舗前にカゴに入れて置いてあります。) *今月の予定はこちらです。 ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-09-16 22:45
| エネルギー
今日はアドバンス2年生クラスにお邪魔してきました。
月に1度皆さんとテキストを読み合わせるほか、1ヶ月の間に起こった出来事や コースの実践についてお話を伺ったり、聴いていただいたりするのが楽しみでもあります。 「奇蹟のコース」はテキストとデイリーワークから成り、ひとりで学ぶことは 十分可能なもので、自学自習されている人も大勢いらっしゃるかと思います。 これはあくまでも個人的な好みですけれども、私は皆さんと一緒にテキストの 読み合わせをしている時間がとても好きです。 みなで想いをひとつところ(コースの世界観)に向けていると、皆さんの胸にある 美しい光がますます輝きを増していくのが感じられます。 その光がひとつになってお部屋を満たし、この地上に向けて広がっていくのも感じます。 時折銀色の光がきらめいて、そんな時は聖霊が合図をしてくれているようにも感じます。 とても安心で心地よさを感じます。 今日はテキストを読んでいて、癒されていない部分がざわざわして正直 辛く感じる箇所もあったのですけれども、皆さんの想いがサポートして下さった おかげで最後まで読み切ることができました。 ありがとうございます<(_ _)> 帰り際、玄関ドアを開けて外に出たら、目の前を銀色に輝く一筋の光が 通り過ぎていきました。 いつでもどんなときでも、聖霊(父)と一緒に歩いていることを実感した 瞬間でもありました。 ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-09-07 23:22
| エネルギー
今日は平野さん(野口整体)のワークショップに参加してきました。
愉気の方法やいくつかの調整ポイント(活点)を教えていただき 参加者同士で練習。 ちなみに愉気とは、主に手や指を通して、相手に気を送ることを指します。 「手当て法」という言い方もあるとか。 野口整体・・・とひとくちに言っても、現在では団体や施術する人によって 細かな部分では、少しづつ違いがあるようです。 話を戻して・・・ ひとつ愉気をする度に身体が緩み、あくびが出る出るヽ(  ̄○)ゞ。o○ファ~~♪ 愉気の後再度お相手の身体に触れると、それまで分かりにくかった調整ポイントが すぐに見つけられる(他の部分との違いがはっきりしてくる)ようになったり 硬かったのが柔らかくなったりと、変化が感じられました。 ワークショップが終わる頃には、身体が伸びやかになって、顔の表情も すっきりしたように感じました。 普段の生活で気づかないうちに、身体の色々なところに力が入っているのかも しれませんね(^_^;) さて、簡単にできる調整ポイントをひとつご紹介。 神経が過敏になっている・高ぶっている時に・・・ 額の生えぎわ(中央あたり)を指の腹またはこぶしで軽く、リズミカル (「ポーン、ポーン。」と跳ね返るような感じ)に叩く と、頭に上がっていた気が下におりて落ち着いてくるそうです。 そういえば、かっとした時などに使う「頭に血が上る」という表現があります。 意外と「血=気」を表しているのかもしれませんね。 咳が出る時にも良いそうです。 お試しあれ(⌒-⌒) *今月の予定はこちらです。 ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-09-04 22:33
| エネルギー
お盆にお墓参りした時のお話です。
実家のある市内の市営霊園に母のお墓があります。 お盆時期にお参りするのは数年ぶりです。 娘と一緒に霊園の最寄り駅で父と待ち合わせ、そこからバスで移動。 いつもの倍の時間をかけて(お盆時期なので道も混んでます。)ようやく到着。 と、ここまでは前振りで。 本題はここからです。 お墓のある霊園は敷地面積の3分の2が緑地やサイクリングロードなどレクリエーションスペースになっているせいか、とても開放感があります。 墓地だけで33,000区画あるとか。 ブロックごとに分かれており母のお墓があるブロックにしか行ったことがないので、そのエリア限定かもしれませんが、そこで感じたことを少々。 スピリチュアルカウンセラーの江原さん曰く「お墓はカルシウム畑。霊はいない。いるとしたら、『死んだらお墓に行くものだと思い込んでいる人(霊)だけ。」とのことですけれども、確かに。 どちらかと言えば、お参りの方々と一緒にいらしているような感じを受けました。 お参りの皆さんがお墓の掃除をしたり、墓石に向かって拝んでいたりするのを皆さんの背後から楽しげに見ている・・・といった感じでしょうか。 お墓を背にして皆さんと向き合っている方は、ほとんどお見受けしませんでした。 また一見すると荒れているように見えるお墓がとても優しく暖かい想いで包まれていたり、反対に立派な(高級そうな)で掃除も行き届いているお墓に、なんとなく淋しい想いが漂っていたり・・・ということもありました。 もちろん、まめにお参りして、掃除も行き届いているに越したことはないのでしょうけれども、遠かったり様々なご事情でお参りできない場合もあると思います。 そんな時は想いを向けるだけで十分だと感じます。 そもそもお墓に故人がいるわけではないので・・・ね。 いうまでもなく、お墓の材質や大きさなどで、故人が成仏できるか否かが決まるわけではありません。 出来る範囲でするのが良いのではないでしょうか。 大切なのは形ではなく、そこに込められた想いです。 今回のお盆にお参りできなかった方、お墓のことで思案されている方、もしいらっしゃったら、今ご自身がいるところで故人へ想いを向けてくださるだけで十分伝わります。 そして、霊園にはその土地をずっと守護している存在達がいました。 今もずっと守護しています。 もし生前、「死んだらお墓に行くものだ。」と思い込んでいた方がお墓でウロウロされていても、いずれ然るべきところへ行けるよう見守っているように感じました。 と、霊能者でもないのに何でこんなことを書いているのか、自分でも不思議です。 異論がおありの方もいらっしゃることと思いますけれども、まぁ個人的見解ということでご容赦下さいませ(^_^;) ■
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by setsuna-tsumugi
| 2009-08-21 23:21
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